わざわざ通り道する意味

学習でいつも出る問題。空気になりたい凡人です。

最近ゼミで使用している書籍の記述が古いために起こる・わざわざ遠回りな証明や説明に振り回されている。比較的新しい書籍では、別の明解な方法を利用しているだけにすべてを読む必要のあるゼミでは時間の無駄であるように感じてしまう。

いかに名著であっても古くなればなるほど現在では通用しない手法や意味のない苦労が存在する。それが、理論創設者の書いた原著ならば行く文化の価値はあるだろうが大方名著と呼ばれてきたものは編集したものである。(EGAの内容はとても価値あるものだけど読むには大変だからHartshorneの本が名著と呼ばれているのと似ている。)

大体原著の方が圧倒的に無駄が多いのは作り立てだから当たり前。でも、編集した名著と呼ばれる本たちは、不要な情報をそぎ落として簡略化しているのだからくみ取るのに必要な「無駄な文章」らしきものを消されてしまうと途端に悪文に代わる。ひどい場合は未定義用語が飛び交ったりする。

そのような点で、名著と呼ばれた本たちも世代交代の時期が来ているのではと思う。

現場からは以上です。