いきなり情けない遠吠え

出戻りです。空気になりたい凡人です。

いきなりですが、私はタイトルに「凡人」と入れておきながら実際は下の下だと思っています。

融通が利かない・白黒思考・人間不信・自己肯定感がない・一つのことに取り組むとそればかりにのめりこむ・人の話を素直に聞けない・他者に助けを求められない・失敗をずっと引きずる・無駄にプライドが高い

んん~。我ながら終わってますね。こんなのが他者だったら絶対に近づきたくないです。あ、自分だから逃げられないですね。昨今では、「自己肯定感」や「柔軟な思考や対応力」などが必要だと耳に入るたびに後ろから刺されているような気分になります。後者は、専門とする学問の関係から当たり前だと思えるようになりましたが、前者はいまだに理解できません。

自己を肯定するって何ですか?あまり実感がわきません。だって、今まで肯定された経験がほとんどないですから。あったとしても貶し成分が必ず入っていて「あぁ、本当は褒めたくないんだなぁ」と思ったものです。中学で頑張って成績を底辺から学校の上位レベルまで頑張ったときも、高校の入学時も、大学合格時も、教職課程をやり遂げたことも、大学院合格時も、心から祝福されたり褒められたことはありません。それどころか早く次のことをやれだの、休んでいる場合じゃないと言われます。褒められるとき必ず頭に「あの暴れん坊で猿みたいだった〇〇が~」がついてきます。ちなみにこれ、外部の人からもそうですが親に一番よく言われます。それで、ほめてるつもりなんですかね。そして、少しでも弱音を吐こうものなら叱責・罵倒・脅迫が飛んできます。「そんなので将来地下で肉体労働だぞ!」だの「この先、生きていけんぞ!」だの。今だと「生活費止めるぞ!」と「育ててやって大学院まで行かせてこれとか、金返せ!」ですかね。そのくせ、社会経験のためにアルバイトや副業に相当することをして収入を得ることをしたいと言うと、「それで勉強がおろそかになったらどうする!勝手なことするな!迷惑かけたらどうするんだ!」ですからね。預金通帳はすべて親が握っているので隠れて稼ぐこともできません。というか、今の私をそう見てるくせに、無理やり社会人になってそういう迷惑人間になることには目を向けないんですね。

もちろん、就職をしなければならないことは正しいです。世間から見たら甘えるなと言われるでしょう。それを頭では理解していても、自分のアイデンティティたらしめている学問を捨てられなくなってしまったのです。

学部時代にこの学問で2度強烈な挫折をしました。わかっていた・理解していたと思っていたことが誤りであったとテストの点数でまざまざと見せつけられたのです。その時はひどいもので大学には行けない・ずっと布団に入っている・食事もまともにとらない(食欲自体がわかない)といった具合です。そのせいか、高校時より身長が伸びたにもかかわらず体重が3kg程減ってましたからね。ずっと体重は変わっていなかったので、帰省時に図ったときに減ってた時は驚きましたね。それでも、自力で回復して教授に個別で相談していろいろと教えていただき無事すべて可ですが合格不可能な状況からすべて可ですが合格できました。(この時の教授には本当に感謝しています。)そして、こんな経験を2回経て気づいてしまったのです。「あ、私はこの学問が本当に好きなんだと。そしてこれすらなくなったらもう何も残らないんだ。」と。それから、私は必死で勉強して大学院へ行くことを決めました。

そして、大学院に何とか合格し最近、3度目の挫折を味わいました。そりゃそうです。自分のいた大学より数段上の院に進学したのですから、教授の前提レベルも周囲のレベルも段違いです。そして、そのことを話していると「もう博士になんか行かずに就職しろ!」と怒られたわけです。「あぁ、こんな時ですら話を少しも聞いてくれず、せめられるんだ。」と私の中でもう親への感情がぐちゃぐちゃになりました。今では自分で、再び立ち直りまた勉学に励んでいますがこのとき弱音を吐いたことで、もう今後ずっと言われ続けると思います。そして、電話をすることが怖くなってしまったのです。また、私が話し出す前に「就職活動はしているか?」と言われるのが恐ろしいからです。でも、電話をしばらく掛けないと、鬼のように電凸してきて、いざつながると「連絡しないとはどういうことだ!お金止めるぞ!」と言ってきます。正直、必要以上に話したくないので憂鬱です。

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あれ、やっぱり私って普通に親のすねかじってるだけのクズなのでは?書き起こしてみるとなんて身勝手な人間なのだろうと改めて思いますね。こんなことなら、今の学問に目覚めずにのらりくらり平凡に大学生活して普通に学部で就職していた方がよかったのですかね。もう、わかりません。

ふぅ。一度文章にすると心の整理ができていいですね。

長々と書きましたが、要は愚痴の時はこんな感じでみっともない文章が出てくると言うことでした。それでは、また学問に取り組みに戻りますね。すべては、その学問を愛するために。そして、親からしたら欠陥品だろう自分の唯一の生きる意味を守るために。

 

現場からは以上です。